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とにかくやってみなはれ。
やる前からあきらめる奴は一番つまらない人間だ
第1次南極地域観測隊 越冬隊長 西堀榮三郎

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写真提供:西堀榮三郎記念探検の殿堂

はじめに

ミサワホームと南極の関わりは、1968年の第10居住棟の受注以来、半世紀以上に亘ります。

日本で初めて南極で越冬した第1次南極地域観測隊の越冬隊長を務められた西堀榮三郎先生は、1974年(昭和49年)に、ミサワホーム総合研究所の理事にご就任いただきました。そして、単に物の品質ではなく、有形、無形にかかわらず、仕事の仕方も含めたすべての質の向上を狙いとした全社的品質向上運動「MQS運動」をご指導いただきました。

西堀先生の功績、研究については、多くの書籍がございますので、詳しくはそちらをご覧いただくこととして、このレポートでは、西堀先生の生誕120周年を機に、ミサワホームの技術的な考え・思想の礎となる大きな影響を与えて下さった西堀先生のエピソードをご紹介します。

第1次南極地域観測隊

1956年11月8日南極観測船「宗谷」が、第1次南極地域観測隊を乗せて、東京港を出航しました。日本初の観測隊は、永田隊長、西堀榮三郎副隊長のもと総勢53名でした。

1957年1月24日 南緯69度、東経39度の海域で「宗谷」は厚い氷に阻まれて停止。この海氷上に荷揚げをすることとなります。しかしながら、この時点では、どこに基地を建設するか未定であったため、1週間かけて適地を調査し、最終的に現在の東オングル島に決定されたのは1月31日でした。

2月14日に西堀先生を越冬隊長に、他10名が越冬隊員として正式に任命され、2月15日に「宗谷」が離岸、11名による日本初の南極での越冬が始まりました。この時、西堀先生は54歳でした。

南極との出会い

日本人として初めて南極の地に行ったのは、1912年に開南丸でロス海棚氷に上陸した白瀬矗中尉です。帰国後、白瀬中尉は日本全国を周って南極探検報告会を行いました。その報告会に11歳の時に参加した西堀先生、いつか自分も南極に行きたいという夢が芽生えた時でした。

青年期には天文学に傾倒し、そこで学んだ技術や知識は、その後に大いに役立つこととなります。

科学と技術

科学者になりたいという西堀先生に対し、父の西堀亀吉氏は、「社会や人の役に立つ人間になれ。自己満足で終わるな、広い視野を持て」と告げました。

西堀先生は、第三高等学校から、京都帝国大学理学部化学科に入学し、その後同大学で講師、助教授となります。しかし、同年、東京電機(現東芝)に入社。技術者として真空管開発を進め、初めて純日本製真空管「ソラ」の開発に成功しました。さらに品質管理普及の功により、日本で工業製品の品質管理に功績のあった企業や個人に与えられる賞であるデミング賞本賞を受賞されました。

科学と技術について、西堀先生は「科学とは森羅万象を知ることだと言えましょう。科学の背景には、必ず発見があります。それに対して技術とは、科学で得た知識を何らかの目的に結びつけてものを作ること、またはシステムを作ることと言えましょう。技術という行為の背景には必ず目的というものがあるはずです」とおっしゃっています。

そして、「学問(科学)というものは、それ自体価値があるなしということはわかりません。それを応用して目的に結びつけたとき、はじめて価値が生じます。その価値の背景には、善悪というものがあり、そこで技術の功罪が生まれる」「技術者は、人倫に高い関心を持つことが必要だ」と述べています。

科学者であり、技術者であり、また哲学者、教育者でもある西堀先生ならではの、とても意義深いお話しです。

ミサワホームとの関わり

前述の通り西堀先生は、ミサワホーム総合研究所の理事をしていただいておりました。

当時、国のハウス55計画においてミサワホームでは、多機能素材PALCを開発し、後の鉄骨系ハイブリッド住宅につながる新しいユニット工法の生産を開始しました。新素材であるPALCは、新製品の立上げ時によくある事ですが、パイロットプラントでは予想できなかった問題が、実ライン生産する段階で、いろいろな製造工程のバラツキとして顕在化してきました。

その時も、西堀先生のご指導をいただき、大いに助けられました。

当時、まだ新人にもかかわらず直接ご指導いただいた、ミサワホーム株式会社エグゼクティブアドバイザー柳谷氏は、1年分のデータをグラフ化しその分析をしている時に「色眼鏡で見んと虚心坦懐に観察すればデータは語りかけてくるもんや」と言われ、様々な事象とデータとの関係を探ろうとする執念に、深く頭が下がる思いだったと回想しています。さらに、当時80歳になっておられましたが、まだノートパソコンも無く、ポケットコンピュータの時代ですが、ご自分でデータ分析のプログラムを作られ、移動先からでも「ええのができました」とご連絡をいただく事もありました。

一緒に現場に入り、計画立案を共に考え、実験を重ね効果を確認し、また改善に役立てていく、まさに工場実験法の実践を直々にお教えいただきました。常に前向きな諦めない姿勢に多くを学び、ミサワホームの技術開発に大きな道標を残していただいたと思っています。

西堀カルタ

この様に探究心に富み、常に前向きで諦めず、実践こそが大事と地に足のついた姿勢、探検家、科学者、技術者、教育者、哲学者でもある西堀先生の言葉は、今の現代社会における私達にも大切なヒントを与えてくれます。

最後にこの西堀イズムを48字の「いろは」で表した「西堀かるた」(西堀榮三郎記念探検の殿堂発行)をご紹介いたします。

 

【参考文献・関連書籍】

「西堀流新製品開発」日本規格協会
「西堀榮三郎選集1~3巻・別巻」悠々社
「未知への挑戦シリーズ天文編 宇宙を仰ぐ」西堀榮三郎記念探検の殿堂

 

【関連施設】

西堀榮三郎記念探検の殿堂
滋賀県東近江市横溝町419
https://e-omi-muse.com/tanken-n/

関連リンク:南極の歩き方動く360度パノラマで体感 お家で南極の課外授業「南極eスクール」